ウクライナ情勢と戦艦ポチョムキン

ウクライナ情勢と戦艦ポチョムキン

 

 ウクライナの情勢が報道される中で、黒海の中の島「ズミイヌイ島」で任務に当たっていたウクライナ国境警備隊13人が、ロシアの軍艦から降伏を迫られたが、「地獄に堕ちろ」と返答し、その後連絡が途絶えた、とBBCなどのメディアで伝えられた。当初、警備隊は全滅したと思われていたが、13人はロシア軍の捕虜となったが、生存している、と伝えられている。

 ズミイヌイ島は小さな島だが、黒海への出口となる重要な拠点。行政区としては、オデッサ州に属し、ウクライナ第3の都市オデッサもまた、黒海に面した戦略的拠点だ。オデッサという名前を聞いて、映画ファンの中には、鬼才エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」(1925年)を思い起こす人も多いのではないだろうか。オデッサの港の階段で、帝政ロシアの軍隊が、ウクライナ市民を虐殺する。撃たれた母親の手を離れた乳母車が、赤ちゃんを乗せたまま階段を落ちていくシーンはとても印象的で有名だ。

 階段のシーンは史実ではない、という指摘もあるが、帝政ロシアオデッサで虐殺を行ったことは間違いがない。

 映画は、1905年のロシア第一革命を描いている。オデッサ近くに碇泊していた戦艦ポチョムキンでは食糧の補給がされず、ウジの湧いた肉がテーブルに出される。怒りに燃えた水兵たちに対し、上官は射殺するよう命じたが、「兄弟! 誰を撃つ気だ!」というワクリンチュクの声に目覚め、逆に上官を艦長とともに海に投げ込んでしまう。ポチョムキン号の反乱を鎮圧するために、黒海艦隊が差し向けられるが、艦隊もポチョムキン号に同調し、革命軍の側に加わる。

 もちろん、この映画は革命側のプロパガンダとして制作されたものだが、その表現方法は「モンタージュ理論」として知られ、何よりも、抑圧された側は団結して、抑圧する側に反撃する権利を有している、ということの普遍性を皮肉にも表している。

 皮肉にも、というのは、100年の時を経て、今や革命側とツアーリ=皇帝側が逆転してしまったことだ。プーチンは今や、社会主義者でも共産主義者でもない。数兆円とも数十兆円とも言われる個人資産を持ち、豪邸に住み、ロシアの市民やウクライナの市民を、軍隊・警察の力で抑圧している。ツアーリそのものだ。18世紀に女帝エカテリーナ2世は、ウクライナを併合したが、それと同じことをしようとしている。「ロシア帝国」の復活を目指している、と指摘する専門家も多い。

しかし、ロシア兵がウクライナ兵・市民に銃を向ける時、「兄弟! 誰を撃つ気だ!」と言われたら、それでも撃つことができるのか。

 今のロシアで軍隊が反乱を起こすことは難しいのかもしれないが、真の敵はウクライナではなく、現代のツアーリ=プーチンであることをロシア兵には知ってほしい。