ジョン・ダン〜ヘミングウェイ〜ウクライナ

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、プーチンロシアの侵攻を受けて、世界中の人々に訴えた。ウクライナがこの戦いに敗れれば、次はあなたの国がプーチンロシアの標的になる、と。だから、ウクライナに武器を含めて、最大限の支援をしてほしい、と。米国とヨーロッパの国々は、ナチスドイツ、ファシズムと戦った過去を思い出し、また、眼前にある民主主義の危機を感じ、武器の供与、プーチンロシアへの経済的な制裁を行い、ウクライナに対し、最大限の支援を行っている。隣国ベラルーシでルカシェンコに弾圧されている人々は義勇軍として参加し、世界中から義勇兵が参加している。多くの国々、多くの人々がウクライナの危機を、民主主義、自分たちの危機としてとらえ、ウクライナを支援している。

 5月の段階では、ウクライナは各国の支援を受けて、反転攻勢に出ようとしている。長期化も予想されているが、民主主義の側が結束してプーチンロシアを封じていけば、ウクライナは最終的には勝利するだろう。

 

 アーネスト・ヘミングウェイ(1899年〜1961年)は、1936年〜1939年のスペイン内戦で、ジョージ・オーウェルらとともに、共和国軍に義勇兵として参加し、フランコ率いる反乱軍と戦った。スペイン内戦では、米・英・仏は不干渉の立場を取り、逆に反乱軍は、ナチスドイツ、イタリアが支援し、共和国軍は内部崩壊し、敗北した。ヘミングウェイは、この時の体験をもとに、「誰がために鐘は鳴る」を書いた。

 「誰がために鐘は鳴る」は、イギリスの詩人、聖職者ジョン・ダン(1572年〜1631年)の「瞑想録」からの一節だ。「人は一人で生きているわけではない。人は人類の一部であり、人の死は、あなたの死でもある。だから、いったい誰のために弔いの鐘は鳴っているのだろう、と聞いてはいけない。あなたのための弔いの鐘でもあるのだから(要約)」

 ヘミングウェイは、スペインでの民主主義の危機が、自分にとっての危機でもあると考え、スペイン内戦に参戦した。スペイン内戦はフランコ側の勝利に終わり、共和国軍、国際義勇軍は多くの犠牲を払ったが、結局、ファシストは滅び、フランコ体制も滅んだ。

 ジョン・ダンはイギリス人だが、1596年〜1597年、20代半ばで、オランダに渡り、オランダ独立戦争に参加し、スペイン軍と戦っている。それは、「瞑想録」にもあるように、オランダの人々の独立への想いに共感し、強大なスペイン軍と戦うためだ。

 人の死を自分の死として感じとる感性。人の人生を自分の人生として生きる感性、それは、ジョン・ダンヘミングウェイに通底する感性だろうし、多くの人々がもともと持っている感性だろう。だからこそ、世界の多くの人々は、ウクライナの人々の死を、自分たちの死としてとらえ、ウクライナの人々の戦いに共感し、支援している。

 民主主義に絶対的、普遍的な価値があるとは思わないが、少なくとも自国の安全保障のために隣国を属国にすることは許されないし、プーチンウクライナの人々を虐殺する権利もない。

 ただ、忘れてはならないのは、プーチンロシアの理不尽な命令に従って、ロシアの若者たちが死に、傷ついていることだし、プーチンの抑圧に苦しんでいるロシアの人々がいることだ。中東でも、アフリカでも、アジアでもアメリカ大陸でも、理不尽に殺され、傷ついている人々がいることも忘れてはならないだろう。

キーウ コーリング

KYIV CALLING(キーウ コーリング) Beton(ベトン)

 

Beton - Kyiv Calling

(official cover version of London Calling by The Clash)

https://www.youtube.com/watch?v=xWQUkRKqp2E

 

 「ベトン」の「キーウ コーリング」という曲は、イギリスのパンクバンド「ザ・クラッシュ」の「ロンドン コーリング」を元歌としたものだ。「ロンドン コーリング」は、BBC第二次世界大戦下のナチス・ドイツと占領地に向けた放送の出だしを模したものと言われている。

 「ザ・クラッシュ」の「ロンドン コーリング」が若者や、虐げられた人々へのアジテーションだとするなら、「キーウ コーリング」は、全世界の人々へのアジテーションだと思う。「ロンドン コーリング」が第二次世界大戦の情況を踏まえて、1970年代のロンドンの情況を歌っているとするなら、「キーウ コーリング」はさらに、それらを踏まえて、現在のウクライナの情況を歌っている。歌詞は「ロンドン コーリング」の歌詞をベースに、見事にウクライナの情況に置き換えている。

 「Phoney Beatlemania」は「Phoney Putinmania」に。インチキプーチンマニアはみんな破滅した。
「こちらキーウ、我々には戦闘機がない。空をきれいにして、ロケットの攻撃を止めてくれ」 というのはウクライナの人々の切実な願いだ。

「Meltdown expected」は「ロンドン コーリング」では1979年のスリーマイル島原発の事故を歌っているが、「キーウ コーリング」では、チョルノービリ(チェルノブイリ)やザポリージャ原発へのロシア軍の攻撃だ。

「the wheat is growing thin」もそのままだ。「growing thin」どころか、小麦畑はロシアの戦車に荒らされ、ロシア軍に略奪され、ようやく収穫できた小麦も輸送できないでいる。

「‘Cause London is drowning and I live by the river」は「‘Cause Kyiv is rising.  We live by resistance」に。ウクライナの人々の士気の高さを感じさせる。

「Kyiv calling to the NATO zone. Forget it, brother, we can’t go it alone」 こちらキーウ、NATOの国々へ。NATOだってことを忘れちまえ、兄弟、俺たちだけじゃ戦えない

「Russian ships fuck you」は、もちろん、ズミイヌイ島(スネーク島)の国境警備隊ロシア海軍の降伏勧告に返した言葉だ。切手にもなった。

 

 歌いたいものを歌え それがパンクだ

 4月9日付の東京新聞の朝刊に、ジョー・ストラマー(1952〜2002)の写真と話が載っていた。写真家の「ハービー・山口」氏が、たまたまロンドンの地下鉄でジョー・ストラマーを見かけ、勇気を振り絞って「ジョーさんですよね。撮っていいですか」と聞いたところ、ジョー・ストラマーは快く応じてくれて、「撮りたいものは撮るんだ。それがパンクだ」と言って去っていったそうだ。(東京新聞「一枚のものがたり」2022年4月9日)

 今回の「キーウ コーリング」に対して、クラッシュのメンバー3人は全面的に支持したそうだ。ジョー・ストラマーが生きていたら、もちろん彼も支持しただろう。「歌いたいものを歌え それがパンクだ」と言って。

 

(日本語訳)

こちらキーウ、遠くの町々へ
今、宣戦布告がなされ、戦いが始まった
こちらキーウ、全世界へ
中立なんてないよ、いい子のみんな
こちらキーウ、見てるだけじゃダメだ
インチキプーチンマニアはみんな破滅した
こちらキーウ、我々には戦闘機がない
空をきれいにして、ロケットの攻撃を止めてくれ

 

(コーラス)
鉄の時代がやって来る、カーテンが下がってくる

メルトダウンが始まるかもしれず、小麦は細くなってる
エンジンは止まりそうだが、俺たちは怖れない
キーウには勢いがあり、俺たちは抵抗している

 

こちらキーウ、NATOの国々へ
NATOだってことを忘れちまえ、兄弟、俺たちだけじゃ戦えない
こちらキーウ、死んじまったゾンビたちへ
プーチンを支えるのはやめよ―そしてひと息ついてみなよ
こちらキーウ、俺たちは叫ばなくちゃいけない
俺たちが話している間にも、オリガルヒが逃げ出していく
こちらキーウ、俺たちは撤退なんてしない
ここは俺たちの国だ ロシアの軍艦なんかクソ食らえ

 

(コーラス)
鉄の時代がやって来る、カーテンが下がってくる
エンジンは止まりそうで、小麦は細くなってる
核のエラーがあるかもしれないが、俺たちは怖れない
キーウには勢いがあり、俺たちは抵抗している

 

さあ聞いてくれ
こちらキーウ、そうさ、俺たちはずっとここにいるぜ
お前はモスクワが言ったことを知ってるか?

そうさ、すべてウソっぱちさ!
こちらキーウ、ダイヤルはトップに合わせて
この歌を聞いて、戦闘機を送ってくれないか?
こちらキーウ こちらキーウ

こんな風に感じたことは、今までなかったぜ…

 

知床岬クルーズ

 知床岬クルーズで遭難事故が発生した。

 2022年4月25日の時点で、亡くなられた方が11名。謹んで哀悼の意を表したい。不明の方が15名。無事に発見されることを切に願っている。

 私は8年ほど前に、知床岬までのクルーズを体験した。海岸沿いに知床岬の先端までを往復するコースで、遭難するなどとは夢にも思わなかった。今回遭難された方々も夢にも思わなかっただろう。

救命胴衣(2014年)

 乗客は皆、甲板員の指示に従って救命胴衣をつけたが、救命胴衣をつけていても、海水温が低ければ生存が難しくなるとは思わなかった。

カムイワッカの滝

カシュニの滝

ルシャ海岸のヒグマの親子

 海岸沿いは見どころが多い。船長は乗客によい景色を見せるために海岸に近づこうとするが、座礁する危険もあり、慎重に操舵して前進・後退を繰り返していた。船長は、海底の地形、風向き、潮の流れを熟知していないと務まらないと思った。

知床岬灯台

 知床岬は、道路がないので、カムイワッカの滝、カシュニの滝、ルシャ海岸、知床岬灯台などは、クルーズ船からしか見ることができない。ヒグマとの遭遇率は95%前後というから、かなり確率が高い。 
 知床五湖も回ったが、一湖、二湖までは観光客も多いが、三湖から先は観光客も少なく、クマと遭遇するのは怖かった。その点、クルーズ船からクマが見られるのは安全だが、それはクルーズ船の安全が保証されることが前提だ。

 

漁船(ルシャ海岸)

 普段であれば、近くで操業している漁船も多く、他のクルーズ船も行き来しているので、万が一転覆しても救助されただろう。それだけに、漁船や他のクルーズ船が出港しない時に、単独で出港したのが残念でならない。

 知床岬コースは、9,000円弱。26人分で二十数万円。コロナ禍で経営が苦しかったのかもしれないが、多くの人命、未来が失われたこと、家族、親族、友だちの方々の悲しみを思うと、やりきれない。遭難したクルーザーは、私が利用した会社のものではなかったが、私が利用した会社の船も捜索に参加していた。他のクルーズ船の会社、漁業関係者、海上保安庁、知床の皆さんの方々の苦労を思うと、ますますやりきれない。

 クルーズ船は2時間弱をかけて海岸を回り、帰りは海岸から離れて、1時間程度でウトロ港に戻る。知床岬までの間で座礁し、浸水したのであれば、遅くとも12時までには事故の連絡ができたはずで、出港後3時間も経って、午後1時18分に海上保安庁に救助要請というのは理解できない。1時間もの間、何をしていたのか。

 楽しい記憶として残るはずだったクルーズが、このような悲しい結果となってしまったことは、返す返すも残念でならないし、やりきれない。

 





 

ウクライナ情勢と戦艦ポチョムキン

ウクライナ情勢と戦艦ポチョムキン

 

 ウクライナの情勢が報道される中で、黒海の中の島「ズミイヌイ島」で任務に当たっていたウクライナ国境警備隊13人が、ロシアの軍艦から降伏を迫られたが、「地獄に堕ちろ」と返答し、その後連絡が途絶えた、とBBCなどのメディアで伝えられた。当初、警備隊は全滅したと思われていたが、13人はロシア軍の捕虜となったが、生存している、と伝えられている。

 ズミイヌイ島は小さな島だが、黒海への出口となる重要な拠点。行政区としては、オデッサ州に属し、ウクライナ第3の都市オデッサもまた、黒海に面した戦略的拠点だ。オデッサという名前を聞いて、映画ファンの中には、鬼才エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」(1925年)を思い起こす人も多いのではないだろうか。オデッサの港の階段で、帝政ロシアの軍隊が、ウクライナ市民を虐殺する。撃たれた母親の手を離れた乳母車が、赤ちゃんを乗せたまま階段を落ちていくシーンはとても印象的で有名だ。

 階段のシーンは史実ではない、という指摘もあるが、帝政ロシアオデッサで虐殺を行ったことは間違いがない。

 映画は、1905年のロシア第一革命を描いている。オデッサ近くに碇泊していた戦艦ポチョムキンでは食糧の補給がされず、ウジの湧いた肉がテーブルに出される。怒りに燃えた水兵たちに対し、上官は射殺するよう命じたが、「兄弟! 誰を撃つ気だ!」というワクリンチュクの声に目覚め、逆に上官を艦長とともに海に投げ込んでしまう。ポチョムキン号の反乱を鎮圧するために、黒海艦隊が差し向けられるが、艦隊もポチョムキン号に同調し、革命軍の側に加わる。

 もちろん、この映画は革命側のプロパガンダとして制作されたものだが、その表現方法は「モンタージュ理論」として知られ、何よりも、抑圧された側は団結して、抑圧する側に反撃する権利を有している、ということの普遍性を皮肉にも表している。

 皮肉にも、というのは、100年の時を経て、今や革命側とツアーリ=皇帝側が逆転してしまったことだ。プーチンは今や、社会主義者でも共産主義者でもない。数兆円とも数十兆円とも言われる個人資産を持ち、豪邸に住み、ロシアの市民やウクライナの市民を、軍隊・警察の力で抑圧している。ツアーリそのものだ。18世紀に女帝エカテリーナ2世は、ウクライナを併合したが、それと同じことをしようとしている。「ロシア帝国」の復活を目指している、と指摘する専門家も多い。

しかし、ロシア兵がウクライナ兵・市民に銃を向ける時、「兄弟! 誰を撃つ気だ!」と言われたら、それでも撃つことができるのか。

 今のロシアで軍隊が反乱を起こすことは難しいのかもしれないが、真の敵はウクライナではなく、現代のツアーリ=プーチンであることをロシア兵には知ってほしい。